編集部からのお知らせ

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\やまもとふみさんの新シリーズが、2025年秋に発売予定!!/


新作の発売を記念して、やまもとさんの超人気作
「理花のおかしな実験室」の第1巻をボリュームアップでためし読み!

理科がトクイな主人公・理花(りか)と、
パティシエ志望のクラスメイト・そらが、
お菓子作りの失敗を科学の力で解決する、わくわくドキドキのお話♪

この春、新学年にあがったみんなにオススメの、
勇気をもらえる大人気シリーズだよ★


さっそくチェックしよう!!
(※連載 全3回予定)




1 ため息ばかりの授業参観

「はい、はーい!」
 今日は授業参観。
 それにあわせて特別授業になっていて、いつもはちがう教室で勉強するはずの五年生と六年生が体育館で一緒に授業を受けているんだ。
 教室じゃないし、メンバーもちがうしで、キンチョウしているのか、みんなどこか恥ずかしそうにもじもじしている。
 わたしももちろんそう。だって六年生も一緒だし、さらに後ろにはたくさんの大人がずらりと並んでいて、じっと様子をうかがっているんだもん。
 季節はまだ春だというのに体育館の熱気はすごく、お父さんもお母さんも半袖を着て、暑そうにしていた。
「はい、はい、はーい!」
 だけどそんな空気を吹き飛ばすように、ひときわ元気がいい男の子が手をあげつづけている。
 指の先までピンと伸びていて目立つ。
 わたしのクラスの人気者、広瀬蒼空(ひろせ そら)くんだ。
 そらくんは名前の通りに晴れた日の青空みたいに明るくてサワヤカな男の子だ。
 そして、クラスで一番のイケメン男子。眉毛がキリッとしてて。しかも、目は大きくってキラキラしてて、すごく眼力があるんだ。
 俳優さんに似ているって、だれかが騒いでいた。
 だけど、かっこいいだけじゃなくって、だれにでもやさしくて、だれとでも仲良くしてる。
 クラスの女子はみんな、そらくんをかっこいいって言ってるし、つきあいたいって狙ってる子もいる。
 そして、実はわたしも……ひっそりとかっこいいなってあこがれてるんだ。
「元気がいいな! じゃあ、そら!」
 そらくん以外だれも手をあげないものだから、先生が苦笑いをしながらそらくんを指した。
「えーっと、答えは、石けんです!」 ……あ、それまちがいだよ。そらくん!



 面白いまちがいにどっとみんなが笑うけれど、本人は、
「あれー? ゼッタイあってるって思ったんだけどな! だってサイダーって泡が入ってるだろ?」 
と首をかしげてケロッとしてる。
 まちがえても平気そうだ。というより、わざとまちがえて盛り上げたんじゃないかな?
 そういうところも、カラッとしてて感じがいいなって思う。そらくんがいると、みんなが笑顔になるんだ。
 わたしとは大ちがい。
 わたしなんて、答えを知っているのに手もあげずに黙ってる。弱虫だなって自分でも思っちゃうよ。
「ほかにわかる人いないかな? 今までに出た答えは、砂糖、レモンの汁。それからあと一つ! これに入っているものはなにかな!?」
 先生がビーカーを上に持ち上げて、もう一回たずねる。
 ビーカーの中には透明な液体が入っていて、中ではキラキラとした泡が躍っていた。
 そらくんがもう一回手をあげて笑いをさそうけど、先生は今度はほかの人を当てようとだれか手をあげるのを待っている。
 だけどだれも手をあげない。体育館はしーんとしずまりかえったまま。
 もしかして、わかってるのって、わたしだけ?
 そう思うと胸がドキドキしてきて、手もむずむずしたけれど、わたしはギュッとげんこつを作ってがまんした。
 後ろから期待に満ちあふれた視線が飛んできているのがわかる。
 それでもわたしはだんまりだ。
 視線を送ってくるのはわたしのパパだ。
 わたしが手をあげるのをパパは待っている。得意な理科でカツヤクしてくれるのを、待っているんだ。
 だけどわたしはやっぱりだまったまま。
 だって、わたし、理科なんて……大キライなんだもん。

2 理科がキライになったわけ

「理花。あの問題、むずかしかった? ずっと前、パパと実験しただろう?」
 家に帰るなり、パパがわたしにたずねた。

「んー……べつに? ちょっとキンチョウしただけ」

 わたしはごまかした。
 理科がキライなんて言って、パパを傷つけることはしたくない。
 パパは理学博士で、大学の先生をしている。そんな理科大好きなパパの影響で、わたしは、小さな頃から理科の実験をたくさんしていたんだ。
 虫を捕まえてきて育てたり、草や花で色水を作ったり、夜に月や星の動きを観測したり。
 だから、学校の勉強では、理科が一番好きだった。
 家の中には昆虫図鑑、動物図鑑、宇宙図鑑、恐竜図鑑や、元素図鑑……たくさんの図鑑があるけど、何回も覚えるくらいに読んだんだ。
 昆虫図鑑や動物図鑑には世界中のめずらしい虫や動物がたくさんのってて、まるで動物園に行ったみたいだったし、宇宙図鑑では星から星へと宇宙旅行をしている気分になったし、恐竜図鑑を開いては、何万年も前の地球がどんなふうだったかを想像してワクワクした。
 そして、わたしたちの住む世界を作る、目に見えないくらいに小さなものがのっているのが元素図鑑。この図鑑にのっているものが、わたしの体や、この世の中すべてを作っているんだと考えるのがとても楽しかったし、みんなそんなふうに思っているものだと信じていたんだ。

 だけど……。キラキラしていた世界が変わってしまったのは、小学校三年のとき。
 クラス替えがあったばかりで、新しいともだちと遊ぶことになって。みんなが宝物を持ってくるって言ったから、わたしもはりきって準備をした。
 宝物って言われたら、持っていくものは決まってる!
 自分で作った塩の結晶、それからお気に入りの元素図鑑、そして苦労して捕まえたタマムシの入った虫かごを並べて自信まんまんだった。
 すごいって言ってくれるかな? とワクワクしてみんなの顔を見たときだった。
「それが宝物? 理花ちゃんって変わってるよね……虫とか好きなのって男の子みたい。わたし、ちょっとムリ、かも……」
「え?」
 みんなの引きつった顔に、わたしはびっくりした。
 そしてその瞬間に、周りのことが急に目に入ってきた。
 ともだちが持ってきたのはカワイイぬいぐるみだったり、シールだったり、カワイイイラストの本だったり、ピカピカのアクセサリーだったり。
 とにかく、パステルカラーのキラキラしたカワイイものがたくさん。

『変わってる』『男の子みたい』。

その言葉がざっくりと心に刺さったとたん、急にわたしの宝物は、ただのがらくたになったみたいだった。
 無色透明な塩の結晶はピンクや赤のアクセサリーの前では地味だったし、図鑑は見向きもされなかったし、タマムシなんてキモチワルイものでしかなかったし。
 それがわかると、急に自分の好きなもののことが『変』に見えて、すごく、すごく恥ずかしくなったんだ。
 ギラギラした鉱物ののっている元素図鑑は、カワイイみんなに囲まれた変なわたしみたいで、かばんの中に隠した。
 虹色にかがやく宝石みたいなタマムシの羽も、みんなに『キモい!』と言われるうちに本当にキモチワルイものに見えてきて……わたしは『そうだよね、キモいよね』と言って虫かごのフタを開けてタマムシを逃がしちゃったんだ。

 それ以来、わたしは普通の女子みたいに、虫を取らなくなった。
 家にいた虫たちもわたしの理科への思いと一緒に、外の世界に飛んでいっちゃった。
 そっと庭を見る。
 そこには満開のハナミズキに囲まれた小さなプレハブがある。
 パパが実験のために特別に作った実験室だ。
 小さい頃からずっと、わたしはあの部屋でパパとたくさんの実験をしてきたんだ。
 おたまじゃくしを観察したり、クワガタとカブトムシの力の強さを調べたり。 塩の結晶を作ったり、石けんを作ったり、電池を作ったり。
 夏休みでもないのに、自由研究をたくさんしていたんだ。
 もう実験はやりたくないと断ったら、パパは「そっか、ムリしてやるものじゃないし……理花は理花が好きなことをすればいいんだよ」と軽く言っただけだった。
 それ以来、虫取りや実験に誘ってこなくなったけど……本当は、どんなふうに思ってるのかな。
 わたしにがっかり、してるのかも。
 だけど、もう決めたんだ、実験はしないって。だってあんな悲しい思い、もうしたくないんだもん。

 そう思ってギュッとこぶしを握っていると、パパは言った。
「元気が無いなあ。そうだ。ケーキを買いに行こう!」
「おととい食べたばっかりじゃなかった?」
「たまにはいいんだよ」
 パパは甘いものが大好きだ。
 近所のお気に入りのケーキ屋さんに、週に一回は必ず足を運ぶ。
 そのせいでお腹が少しぷよぷよしているけれど、ぜんぜん気にしていない。
 気にしてくれないと困るんだけどな。
 ママも言ってる。「やっぱりかっこいいパパが好きでしょ? だから理花からもお菓子を控えるように言って」って。
 だけど、わたしが言っても聞かないんだよね。
 パパが言うには、甘いもの──ブドウ糖は頭の栄養になるんだって。
 パパがお仕事をがんばるために必要なんだって。

3 パティシエ志望のそらくん

 てくてくと歩いていくと、十分くらいで目的のケーキ屋さんが見えてくる。
「Pâtisserie Fleur」。「パティスリー フルール」と読むんだと教えてもらった。
 フルールは花っていう意味だとパパに聞いて、ちょっと親しみを感じている。だってわたしの名前が理花だから。

 いつも季節のお花に囲まれているすてきなお店の入り口が見えてきたとき、
「何度言えばいいんだ! 適当に入れるな! 適当にまぜるな! 頭が使えないやつは出ていけ!」
 大きな声に、わたしはびっくりして足を止めた。
 すぐに白い制服を着た若い女の人が店から飛び出してきた。後ろから出てきたのはいかつい顔をしたおじいさん。
 白髪の交じった髪の毛に、太い眉毛。おでこと目の周りにしわがあって、いかにもガンコオヤジっていうフンイキ。この人はたしかフルールのご主人だ。

 えっ、なに? けんか?
 わたしとパパは顔を見合わせて、垣根の裏にかくれて様子をうかがった。
 すると女の人がご主人に向かってさけんだ。
「だ、だけど毎日毎日下ごしらえばっかりなのに、どこで頭を使えっていうんですか! わたしはすぐにでもすごいお菓子を作りたいんです! だから『幻の菓子』を作りたくてここに来たのに、ぜんぜん教えてくれないし……!」
 幻の菓子? 不思議に思っていると、
「『幻の菓子』ってなんだろう!?」
 じゅるっ。パパがよだれをたらしそうな顔でささやいた。
 パパ! 目の色が変わってる!
 呆れていると、ご主人がため息をついた。
「幻のって……おまえもか。どいつもこいつもキホンもできてないくせに、言うことばかりでっかくて困ったもんだな。そもそも『幻の菓子』なんてものはない。それが目的ならさっさとやめた方がおまえのためだな」
「ウソはやめてください。フルールの『幻の菓子』は『究極の菓子』だっていうのは有名な話ですからね! 教える気がないなら、そう言われたほうがマシです!」
 女の人は、白いベレー帽を地面に投げつけると「やってられないわ!」と言いすてて去っていった。

 大げんかにちょっとぼうぜんとしていると、足音がして帽子をだれかが拾った。
「あーあ。また、人いなくなっちゃったじゃん。何人目だよ、ほんと。じいちゃん、きびしすぎるんだって」
 あれ? どこかで聞いたような声。
 声につられて垣根から少し顔をのぞかせると、そこには見たことのある顔。
 キリリとした眉毛、そしてキラキラした大きな目。
 え、え、この顔は! 授業参観で勢いよく手を上げていた、クラスメイトの広瀬そらくんがそこにいた。

 え、じいちゃんって。つまり、そらくん、フルールのご主人の孫ってこと!? 知らなかった!

「あいつらの根性がないだけだ」
 むすっとしたご主人。そらくんは拾ったばかりのベレー帽をかぶると、クスクスと笑いながら言った。
「じいちゃん一人じゃ大変だろ? そろそろ……なったんじゃない?」
「ははは、なんの冗談だ。この間のテストを見せてもらったが、ひどいもんだったぞ」
「そ、それは……あのときはちょっと……悪かっただけで! ……は点数よかったし!」
 テスト? 何の話だろう?
 そらくんがこちらに背中を向けたので、声が聞き取りづらいけれど、なんとなく気になって耳をすましてしまう。
「だが菓子作りに必要なものがだめじゃ、問題外だがな」
 ガッハッハと笑いながらそらくんに背を向けたご主人は、「あぁ、だが、また人を募集しないといかんなあ…………うっ」
 いきなり苦しげに胸をおさえてしゃがみこんだ。

「……じいちゃん? じいちゃん!」

 そらくんが叫び、わたしとパパは思わず店の前に飛び出した。
「大丈夫ですか!?」とパパ。
「そ、そらくん、大丈夫!?」とわたしもかけよる。
「佐々木?」
 そらくんはびっくりした顔をしていた。けれど、すぐに心細そうにパパにうったえる。
「じいちゃん、ちょっと心臓が弱くて」
「君はたしか広瀬くんだね。家はどこ? おうちの人はいる?」
 そらくんは青い顔をしたまま必死で言った。
「となりです。かあちゃん呼んできます!」
 そらくんがとなりの家に飛び込んでいく。パパがすぐに携帯電話で電話を掛ける。するとしばらくして救急車がやってきた。
 近所の家から人が出てきてあたりが大騒ぎになる中、おじいちゃんは応急処置を受けて、救急車で病院に運ばれていく。そらくんのママが「いつもの発作よ。大丈夫だからね、おとうさんがすぐ帰ってくるからそれまで家で留守番してて」と安心させるように言うと、そらくんを置いて救急車に乗り込んだ。
 ぽつんと残されたそらくんの顔は曇っている。まるで太陽に雲がかかったみたいだった。
 なんて声をかけていいかわからなくておろおろしていると、パパが言った。
「おじいちゃん、きっと大丈夫だよ。またおいしいお菓子を食べられるの、楽しみに待ってるよ」
「……はい!」
 そらくんがいつもみたいに笑ってくれたから、わたしはすごくホッとした。


 次の日は土曜日だった。
 学校がないから、そらくんに会えない。だからおじいちゃんがどうなったのか直接聞くことができなくて、わたしは一日中、なんとなくもやもやしていた。
 そらくんの曇った顔がずっと頭から消えないんだ。
 おじいちゃん、大丈夫だったかなあ。
 心配だったけれど、様子を見に行くのはためらってしまう。
 だって偶然あんなところにいあわせただけだし。ふだんもほとんどしゃべったりしないし……って、あれっ?
 そういえばわたし、あのとき『そらくん』って……呼ばなかった?
 みんながそらくんって呼んでるから、とっさに名前で呼んでしまったけれど、よく考えると名前で呼ぶほど親しくないんだった! うわああ!
 わたしはいまごろになって気がついて頭を抱えた。

 ああああ……余計にどんな顔して会えばいいかわかんないよ!

 ……だけど、あんな心細そうなそらくんって初めて見たから、やっぱり気になっちゃう。
 でも、お店に行って、開いていなかったら?
 お家まで行ってそらくんを呼び出してってなると、う~ん! ムズカシイ!
 だって、女の子のともだちの家でもキンチョウするのに!
 男の子──しかもあこがれの男の子の家とか……ムリ!
 いろいろ考えすぎて疲れてくる。ため息をついたとき、時計の針が三時をさした。
 とたん、リビングにパパの声がひびきわたった。「ああ~、糖分が足りない! 頭が働かなくて仕事ができないよ!」
 おやすみだけど、忙しいパパは家でもお仕事をしているのだ。「お菓子が食べたいなぁ! ……あ、そういえばフルールの……広瀬くんのおじいちゃん、大丈夫だったかなあ。心配だねえ、理花」
 パパがわたしをちらりと見る。そのことを考えていたところだったので、わたしはだまってうなずいた。「元気になってて、もうお店開いてたりしてないかなあ」
 パパはぶつぶつとつぶやく。
 そんなパパに、ママが呆れたように言う。
「昨日救急車で運ばれたんでしょ? 昨日の今日で店を開けるわけないでしょ」
「そんなこと、わかんないだろう」
「大丈夫だったとしても、すぐにお菓子とか作れないわよ。スーパーで買ったのでがまんして! ほんっとお菓子のことになるとうるさいんだから!」
 ああ、けんかが始まっちゃった。だけど、いつもすぐに仲直りするから、『けんかするほど仲がいい』ってやつだと思っている。
「だってぜんぜん味がちがうだろう? あー、フルールのこと思い出したらお腹が空いてきた……もうこれ以上はお菓子がなかったら仕事ができない! ……だれか買ってきてくれないかなぁ」
 パパがちらりとわたしを見て、ぎくりとする。
 なんとなく、『様子を見に行きたい』っていう気持ちを読まれているような気がしたんだ。
 するとママがため息をつき、ふとこちらを見た。
 あ、なんだかイヤな予感がする!
「理~花~」
 にっこり笑顔で優しく呼びかけられてわたしは思わずあとずさり。
「な、なに!?」
「ちょっとフルールの様子見てきてくれる? おじいちゃんも心配だし、お店が開いてないってわかったらパパも諦めるだろうし」
 ママにまでフルール行きをお願いされてわたしはあせった。こ、これはゼッタイ行かなきゃいけなくなってきたっぽい!
「そ……それより、ママが作ったらいいのに」
 言い返すと、「ママにそれを求めるのはまちがってるわよ」とママの目がつり上がった。
 実はママは料理があんまり得意じゃないんだ。
 普通のお料理は、パパと結婚するときにすごく練習したらしくてなんとかできるけど、お菓子はぜんぜんだめ。
 昔、チャレンジしていたこともあるけれど、失敗続きでとうとうギブアップしてしまった。
 パパが言うにはママは食べるほうが得意、だそうだ。
「ママが行ってもいいけど」
 わたしがホッとしかけると、ママはニヤッと笑った。
「代わりにお掃除をやっててくれる?」
 そう言われてしまうと、行くしかない。
 家の掃除はおつかいよりずいぶんたいへんだ。それに……やっぱり、そらくんのおじいちゃんのことは気になるから。
 お菓子を買うって理由があるなら、行っても大丈夫だよね?
 わたしは「わかった」と言うと、お菓子のお金をもらって家を出た。


 フルールに着いたけれど、入り口の扉には《Fermé》と書かれた札がかけてあった。
 どうやらお店はまだ閉まっているみたいだから、閉店って意味かな。
 そらくんのおじいちゃん、大丈夫かな。
 早く良くなりますように。
 そう思いながら回れ右をしたとき、がしゃん、という音がする。店の方だ。
 つづけて「うわあああ」という聞き覚えのある叫び声。
 ぎょっとしたわたしはとっさに扉に手をかける。
 鍵はかかっていなかった。

「……そらくん?」

 声をかけると、お店の奥からそらくんが出てきた。
「え、佐々木? なんでここに──」



 わたしは目を見開いた。
 エプロンをしたそらくんがボウルと泡立て器を、それぞれの手に持って立っていた。
 そらくんははっとすると、手に持ったそれをあわてたように後ろにかくした。だけど手が滑ったのか、ボウルが落ちてガッシャンとすごい音がひびきわたる。

「な、なにしてるの、そらくん……」

 わたしはエプロン姿でボウルを拾うそらくんを見下ろして目を見開いた。おじいちゃんのこととかお店のこととかを聞こうと思ってたのに、全部頭から飛んでいってしまう。
「……え、お菓子、作ってるの?」
 そらくんのアウトドアなイメージとちがってびっくりして思わず言うと、そらくんの目がすっと冷たく尖った。
 いつもとはちがうひんやりとした表情にわたしはビクッとする。

「どうせ、佐々木も『変』だって言うんだろ」

「え……?」
 なんだか怒ってる?
 どうして……と、とまどっていると、そらくんはさらに言った。
「帰ってくれる? おれ、いそがしいんだ」
 背中に氷を押し付けられたような気分になる。
「ご、ごめん」
 わたしは回れ右をして店を出るものの、足がぜんぜん動かない。
 なんだかそらくんが、あまりにもいつもとちがいすぎて、ショックだったんだ。
 しょんぼりとしながらも家に向かって歩き始める。
 だけど頭の中にそらくんの冷たい表情がちらちらと浮かび上がって、気になってしかたがない。 そらくん、怒った顔だったけれど、なんだか寂しそうだった。
 なんであんな顔してたのかな。なにか怒らせるようなことしちゃったのかな?
 じゃないとあのやさしいそらくんがあんなふうに言うわけない……。
 そう考えたわたしは、ふと足を止めた。

「……変……?」

『理花ちゃんって変わってるよね』

 そらくんが言った言葉が、昔わたしが言われた言葉に重なった。
 あのとき、わたし、どんな気持ちだった?
 世界がひっくり返ったみたいで、すごく、びっくりして……悲しくなかった?
 ……もしかして! そらくん、わたしが変だって思ってるってゴカイしちゃった!? それで悲しくなって、あんな顔したのかも!?
 気づいたとたん、わたしは思わず店に向かって駆け出していた。
「──変とか、思ってないよ!」
 店のドアを開けると同時にそう叫んだ。
 中ではそらくんがびっくりした顔をしている。
「佐々木、帰ったんじゃ──」
 ぼうぜんとした顔を見てはっとする。

 わあ、わたし、なに言っちゃってるの!? わたしって、こういう大声出すようなキャラじゃないのに!

 恥ずかしくて逃げ出したくなったけれど、わたしはぐっとがまんしてその場でふんばった。
 だって。だって、さっきみたいな寂しそうな顔、そらくんには似合わないし! そんな顔させたままとかイヤだもん!
「ちょっとびっくりしたけど、わたし、変とか、思ってないよ!」
 ちゃんと伝わりますように。願いながらまっすぐにそらくんを見て言う。
「変だって言われるの、やだよね。だからちゃんと伝えたかったんだ。わたしは変だって思ってないって」
「佐々木……」
 そらくんは少しの間目を丸くしたままだったけれど、やがて、「はああ」と大きくため息をついた。
 そして、するどかった目の力をふんわりとゆるめて、カラッとしたいつもの笑顔を浮かべる。

「わざわざ言いに来てくれたんだ。ありがとな──ってか、ごめん! 昨日もありがとな! 佐々木のとうちゃんに救急車よんでもらったのに、おれ、サイテーだな」

 おひさまが照ったような変わりように、なんだかドギマギしてしまう。
「えっと……おじいちゃん、大丈夫だった?」
 たずねると「うん。働きすぎだって。ちょっと入院することにはなったけど、大丈夫」と言いながら、そらくんは丸椅子にどしんと腰掛けた。そして小さく息をはく。

「おれ、さ。じいちゃんみたいなパティシエになりたいって思ってるんだ」

「ぱ、ぱてぃしえ?」
 それはたしかお菓子を作る職人さん。
 そんなの初めて聞いた! わたしは少し目を丸くする。けれど、そらくんは今度はいつもの調子でやさしくうなずいた。
「この店のフルールって名前、ばあちゃんの名前からつけたんだって。ばあちゃんはもう結構前に死んじゃったんだけど、店の中にまだいるような気がしてて。じいちゃんが倒れて、店までつぶれたら、なにもかも消えちゃうんじゃないかって思ってさ……。だからおれがパティシエになって店を守るんだ」
 だから修業してたのか。そらくんの必死さの理由を知って、わたしは胸がギュッと痛くなった。 だけど、そらくんはぱっと顔を上げると頬をふくらませる。
「でも、じいちゃんさ! いくらおれが弟子になって店を手伝いたいって言っても、ゼッタイやらせてくれないんだよ。だから働きすぎで倒れたりするんだよな。それで店がつぶれたらどうするんだよ!」
「そらくんに手伝ってもらえばいいのにね。どうしてなのかなぁ?」
 昨日また店員さんがやめちゃって、人も足りないだろうし、お手伝いとか助かると思うのに。うちのママだったらきっと大喜びだ。
「それがさ……」
 そらくんはわたしを見ると、ちょっと迷ったように口をつぐんだ。そして椅子から立ち上がるとこぶしを握りしめた。

「とにかく! おれは早くじいちゃんの弟子にしてもらって、ゼッタイに『幻の菓子』を作ってみせるんだ!」



「『幻の菓子』って?」
 おじいちゃんはないって言ってたけど……あるの?
 わたしが首をかしげると、そらくんは苦笑いをした。

「ばあちゃんの誕生日に食べてた菓子のことなんだ。小さいときだったからどんな菓子かはぼやけてるんだけど、メチャクチャうまかったのは覚えてる。じいちゃんには何回も作ってくれってたのんでるんだ。でも、『もう作れなくなった』とか言って、ゼッタイ作ってくれなくって」

「だから『幻の菓子』なんだね」
 わたしが言うと、そらくんはうなずいた。
「じいちゃんが作れないんなら、おれが自分で作ればいいだろ?」
 そう言ったそらくんの目がすごくキラキラしてて。わたしはその力強いまなざしにどきんとしてしまう。
 そしてそんな夢を持ってるのって、すてきだなって思った。
「パパ、すごく喜ぶと思う! 『幻の菓子』って聞いて、ものすごく食べたそうな顔してたもん」
 よだれをたらしそうだった顔を思い出してちょっとげんなりしていると、そらくんが笑った。
「おまえのとうちゃん、さてはそうとうな甘党だな」
 わたしはしっかりうなずく。
「だからちょっとお腹がぷよぷよなの」
「はははっ!」
 すっかり元の調子に戻ったそらくんにわたしも楽しくなる。うん。そらくんはこうでなくっちゃ。 あぁ、戻ってきてよかった!

今日はここまで!
連載第2回は【4月30日】に公開予定だよ! お楽しみに☆