編集部からのお知らせ




\やまもとふみさんの新シリーズが、2025年秋に発売予定!!/


新作の発売を記念して、やまもとさんの超人気作
「理花のおかしな実験室」の第1巻をボリュームアップでためし読み!

理科がトクイな主人公・理花(りか)と、
パティシエ志望のクラスメイト・そらが、
お菓子作りの失敗を科学の力で解決する、わくわくドキドキのお話♪

この春、新学年にあがったみんなにオススメの、
勇気をもらえる大人気シリーズだよ★


今日は、連載第2回(第4~6章)を公開!
さっそくチェックしよう!!

◎連載第1回はコチラから(※連載 全3回予定)




4 クッキー作りのお手伝い

「ところでなにを作ってるの?」
 わたしがたずねると、そらくんは頬を手の甲でぬぐった。
 だけど手に粉がついていたものだから、ほっぺが白くなってしまう。なんだかカワイイ。
クッキー作ってる。じいちゃんが一番カンタンって言ってたからさ。あ、せっかくだからおれが作ってやるよ。佐々木のとうちゃん用」
「え、いいの?」
「任せておけって」
 そらくんはどん、と胸を叩く。
 うわあ、さすがパティシエの孫。たのもしい! そう思ってわたしは見ていたんだけど……。

 ステンレスの作業台の上には、メモが置いてあって分量が書かれている。鉛筆で力強くていねいに書かれている文字は、どうやらそらくんの字のようだ。となりにはタブレットが置いてある。
「それ、レシピ?」
「うん。さっきタブレットで調べた。『一番カンタン』って書いてあるやつ」
「おじいちゃんのレシピはないの?」
 わたしはぐるりと工房を見回す。
「んー、あるとしたらこれかな」
 そらくんは壁のフックにつり下げられていた古い一冊のノートを取った。ノートとか本は他にはないし、たしかに一番怪しい。
「でもさ。じいちゃん、なにも見ずにやってんだよな。ゼッタイ、全部頭に入ってるんだ」
 それはそうだろう。
 何十年もずっと作り続けているものだ。
 いちいち見なくても覚えているんだ、きっと。
 ぱらぱらと開いてみると、ノートにはアルファベットのようなものがたくさん書いてある。
 だけど筆記体っていうのかな?
 字が崩して書かれているせいで、なんて書いてあるかさっぱりわからなかった。
「これ、英語かな?」
「たぶん。だけどおれ、英語はぜんぜんだめなんだ」
「わたしも習ってないから読めそうにない」
「まあ……だから調べたってわけ」

 そう言うと、そらくんはまず材料を量り始めた。
「んーっと」
 小麦粉を取り出したそらくん。だけど、そらくんが持っているのは計量カップだ。
 あれ? わたしはメモをもう一度確認して、目をまたたかせる。
「ええっと、150グラムってことはこの線かな」
 そらくんは計量カップの150の線まで粉を入れた。
 あれれ? 首をかしげていると、次は砂糖。
「50グラムってこのくらいかなあ」
 そう言って今度は計量カップに砂糖を入れる。

 んん?? グラム??? グラムって言ったよね、今。

 眉をひそめていると、そらくんは冷蔵庫からさらにバターを取り出す。
「うーん、これを100グラム……? どうやって入れるんだ? むりやり押し込む?」
 固まったままのバターを計量カップに突っ込もうとしたので、わたしはさすがに声を上げた。
「ちょっとまって!」
「え、なに?」
「そらくん、それ量る道具がちがうよ!」

 そらくんが今量っているものはグラム──つまり〝重さ〟のはずなのに、道具が〝量〟を量るものなんだ。

 きょとんとしたそらくんに、わたしはどうしたら伝わるかなって悩む。
「え、えっと、重さを量るんなら、計量カップじゃなくって秤(はかり)を使わないとダメだと思う!」
「重さ? はかり?」
 ああああ、これはもしかして!
「あの……そらくんってもしかして、算数とか理科とか、ニガテ?」
 恐る恐るたずねると、そらくんはぎくりとした顔をして黙り込んだ。
「えっと……まず、計量カップの目盛りの単位は㏄って知ってる?」
 そらくんはうなずく。
「1㏄っていうのは1mlのことだろ? で、1mlは1g!」
 そらくんは胸を張った。
 ああ、それはわかってやってたのか、とちょっとホッとする。
 たしかに授業では言ってた。だけどそれは特別な場合だけで、全部が全部そうじゃないんだ。

「1mlが1gになるのは『水』だけなんだ。重さって物によってちがうから。だから水だったら計量カップで量っても大丈夫なんだけど……他のものはダメだと思う。ほら、ええっと……文鎮と消しゴムだと同じ大きさでも重さがちがうよね?」
 そらくんはいまいちぴんとこない顔をしている。
 うん、じゃあ、実際に見てもらおう。
 わたしは秤の上に計量カップを置いて、まず水を150の目盛りまで入れた。
 秤の表示は150グラムになる。
 そしてもう一つ計量カップを出すと、今度は小麦粉を150の目盛りまで入れる。すると──。
「ほら、83グラム! 半分くらいの重さだよ! これだと小麦粉の量が足りなくなっちゃう」
「佐々木って……すげええ。そんなことよく知ってんな!」
 一気に説明を終えると、そらくんが目を丸くしていた。
「す、すごくなんかないよ!」
 だって全部授業で習ったことだ。
 ほめられてあわてていると、そらくんが急にぱん、と顔の前で手を合わせた。
「──佐々木、たのむ!」
「え? なに!?」
 思わず一歩後ずさると、そらくんはぐい、と一歩近づいた。
 え、ちょっと! なんだか顔が近い!

おれの菓子作り、手伝ってくれ! 実はおれ、算数と理科がニガテで、この間のテストもひどい点数で! じいちゃんにも『料理は科学なんだ。その頭じゃあとてもじゃないがパティシエにはなれん』っていつも言われて。分量の計算ができるようになるまで外で見てろって、手伝わせてもらえなかったんだよ!」

 ひええ! つまり見てただけ!? それじゃあほとんど初心者じゃない!?
「だからたのむ!」
「え、でも、ムリだよ、わたし、お菓子作りとかしたことないし!」
「大丈夫、おれ、分量の計算以外は自主練してるし!」
 たのむ、と間近できれいな顔に思いきり拝まれてしまって、わたしはハクリョクにおされる。
 っていうか、近い!!! 顔が近いよ、そらくん!
 キリリとした眉。くっきりとした二重まぶたの目。澄んだ瞳からは力強い光がキラキラと出ているようで、ひきつけられて目がはなせない。
 ひゃあああ! いまさらだけど、そらくんって、やっぱりすごいイケメンだよね!? 眩しすぎるよー!!
 息がかかりそうなくらい近くにある顔に、頭がグラングランとしてくる。
 この状況、早く終わらせないと! 心臓がもたないよ!
「え、ええっと、わたしでいいの……?」

 わたしなんかで。そんなひくつな考えが頭に浮かんだとき、
「佐々木がいい」
 キッパリ言われてしまってどきんと胸がはねた。
『わたしがいい』……? わたし『が』いいとか、言われたの、はじめてかも。
「わ、わかった……」
 わたしはいつの間にかそう答えていた。
 え、えっ、わたし、なにオッケーしちゃってるの!?
 あわてたけれど、もう遅かった。そらくんが太陽みたいに笑ったから、断りきれなくなっちゃったんだ。

「じゃあ、さっそく作ろう!」
 張り切ったそらくんが言う。
 お店の奥にある工房の冷蔵庫には、材料がたくさん入っていた。
 けれど、ふと不安になる。
 これ、勝手に使って怒られないのかな?
 聞くとそらくんは何でもないように言った。
「かあちゃんに聞いたら、くさらせるほうがもったいないから、大事に使って、って」
 なるほど。ホッとする。
 ステンレスの台の上には、道具もたくさん。
 秤に計量カップ、ボウルに泡立て器。
 全部ピカピカにみがかれている。
 二人で小麦粉とバターと砂糖を今度はきちんと『秤』で量る。
 そして卵と一緒にボウルに入れてまぜ合わせた。
 耳たぶくらいの柔らかさになった生地を小麦粉をふった台にのせて、めん棒で広げる。
 型抜きして天パンに並べると、そらくんがあっためてくれていたオーブンに入れる。
 レシピは『一番カンタン』なだけに、とにかく手順がシンプルなものみたいだった。
 だけど……。

「んー……なんか、じいちゃんのクッキーと味、ぜんぜんちがう……」

 バターのよい香りがただよう中、そらくんは不満そうだ。
 わたしはおいしいと思うんだけど。
 だって初めて作ったんだよ? 上出来だよ。
 だけどそらくんはさすがにパティシエの孫。おいしいお菓子を食べ慣れている。
「じいちゃんのはもうちょっとサクサクしてるっていうか……これ、なんていうか固いっていうか、重いっていうか」
「おいしいと思うけどな……」
 わたしは反論するけれど、たしかに素朴でお店の味とはだいぶんちがう。
 そもそもクッキーと言っても、スーパーに売っているのでもいろいろある。おせんべいみたいな薄くて固いのとか、逆にふっくらした柔らかいクッキーとか。だからそれぞれレシピがぜんぜんちがうのかもしれない。
 それはそっか。
 お店のクッキーが『一番カンタン』にできるのなら、だれも買いに来ないもんね。
 きっとおじいちゃんだけが知ってる、特別な技があるんじゃないかな。

「サクサクにするにはどうすればいいんだ?」
「サクサクのクッキー……かあ」
 ヒントになるようなことを、最近考えたような気がするんだけど……なんだっけ?
 思い出せずに考え込んだ。
 わからないことがあると、スッキリしなくてキモチワルイよー!
 そのとき、ふとタブレットが目に入った。
「もう一回調べてみたらいいんじゃないかな?」
 わたしが言うとそらくんは困った顔をした。
「それが……」
 タブレットを持ち上げるとロックを外す。だけどそこには『今日の使用時間を超えました』と表示されていた。
「ゲームのやりすぎで規制されてんだ。佐々木んとこは規制されてたりする?」
 そらくんの顔はどんよりとしている。
「わたしは自分用のタブレット持ってないから」
「そっか」
 残念そうにするとそらくんは外を見た。
 つられて見ると外は少し暗くなりかけている。

 時計を見るともう少しで五時だった。わたしははっとする。
「あ、もう帰らないと……! お菓子買いに行くって出かけてきたんだった!」
 そらくんはため息をついた。すごくがっかりしてるように見えたので、わたしはあわてて言う。
「あ、あの。わたし、パパのパソコン借りて調べてみるね」「え、いいの?」「わからないことがあると、わたしも気持ちがわるいから」
 そう言うとそらくんの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、明日も一緒にやってくれないか? あ、午前中は野球があるから午後から」 
あ、そういえばそらくんって野球やってるって聞いたことがある。ドッジボールですごく速い球を投げててともだちが騒いでたんだ。たしか、ピッチャーなんだって!
 わたしはうなずく。明日は特に用事はない。

「じゃあ、明日」
「ちょっとまった。これ忘れ物」
 そらくんはさっき作った『一番カンタンクッキー』を差し出す。
「いいの?」
「おまえのとうちゃんに作ってやるって言ったろ? ……って言っても、一緒に作った、っていうかかなり手伝ってもらったな……じゃあこれもついでに!」
 そう言うと、そらくんは冷凍庫の中からクッキーを三枚取り出す。見ると形がいびつだったり少しこげていたり。
「じいちゃんが作ったやつだけど、わけありでお店には出せないやつ。おれのおやつなんだ」
「きっとパパ、よろこぶよ」
 だといいな、と言うと、そらくんはすっとマジメな顔になって言った。
「佐々木。ありがとな」
 大きな澄んだ目でまっすぐに見つめられたわたしは、
「べ、べつに大したことしてないよ?」
 そう言って、逃げるようにお店を飛び出した。

 帰り道、じわじわと実感が湧き上がってきた。
 ええと……わたし、あのそらくんとお菓子を作っちゃったんだよね!?
 急に飛び上がりそうになったわたしは、ドキドキする胸を押さえながら、スキップまじりで家に帰ったのだった。

5 足りないものは

 家に帰ると、夕食のにおいがただよっていた。だけどリビングにパパはいない。
「あれ? ママ、パパは?」
 キッチンに向かってたずねると、ママがひょいと顔を出した。
「急にお仕事で呼び出しだって。夜は遅くなるって言ってた」
「えー? せっかくおつかい行ってきたのに」
「だって理花遅いんだもん。パパ待ってたのに。なにしてたの?」
 わたしが作ったクッキーを手渡すとママはおどろいた顔をした。
「え、これどうしたの!?」
 おじいちゃんが働きすぎで入院して、フルールはしばらくお休みみたいだということ、そしてそらくんが代わりに作っていたから手伝ったことを説明する。
 ママはクッキーを食べるなり、目を丸くする。
「おいしいじゃない。パパよろこぶよ、きっと」
「おじいちゃんのクッキーにはぜんぜんかなわないけどね」
「娘の手作りクッキーにかなうクッキーなんてないと思うけどねえ」
 クッキーは十枚。五枚をパパにとっておいてママと二人で分ける。一緒に、おじいちゃんのクッキーも一枚ずつ分けた。
 ママが早速食べて「やっぱりプロはちがうわねえ」と目を輝かせると夕食の準備に戻った。

 わたしも一口かじってみる。ざくっと軽い歯応え。そしてバターのいいにおいが口の中に広がった。そらくんがぜんぜんちがうって言うの、すごくわかる。
「どうやったらこうなるのかなあ」
 お皿の上に、そらくん作クッキーとおじいちゃん作クッキー、二つの食べかけクッキーを並べてじっと見つめてみる。
 上から見たら大体同じくらいの大きさ。チガイはあんまりない。
 じゃあ、横から見たら? とクッキーの向きを変えたわたしは首をかしげた。
 あれ?
「こっちにはたくさんすきまがある」
 そらくん作クッキーは生地が詰まっている。だけどおじいちゃん作クッキーの方が小さな穴がいっぱいあったのだ。

「もしかして、サクサクの原因って、これ?」

 胸がドキドキしはじめた。
 うーん……だとしてもこの穴をどう作ったらいいかわからないよ。
 穴……空洞。つまり中に空気が入っているってこと?
 空気。ぷくぷくした泡……。
 連想を続けていたわたしは、ふとリビングにあった金魚鉢を見てひらめいた。
「泡! 泡だ!」
 わたしは思わず立ち上がると自分の部屋に行って、机の引き出しを開けた。
 一番上の引き出しの奥。小さな鍵をつかむと、庭に出る。
 そしてハナミズキの下にある小屋の前に立つ。

 ここはわたしが理科をキライになってから封印していた、パパとわたしの実験室だ。
 もう二度と入らないって、思ってた。だけど……だけど、謎を解くためには、この実験室が必要だ!
 えいっ! わたしはギュッと鍵を握りしめると、扉の鍵穴に差し込んだ。
 カチャリ、という音と一緒に、扉がひらく。
 風が吹いてわたしの背中をそっと押した。
 真ん中に大きな実験台がひとつ。そして壁際には、窓を挟んで大きな本棚と小さな冷蔵庫とオーブンレンジが一台ずつ。棚の中には実験器具がびっしりと詰まっている。
 ずっと使っていなかったはずの部屋は、きれいに整理整頓されているし、ほこりも落ちていなかった。まるで時間を止めてわたしをまっていたかのように。
 わたしは棚の中からコップみたいなビーカーと、細長くて目盛りのついた容器──メスシリンダーを出す。
 昔のことが昨日のことのようによみがえる。
『ここに魔法の粉がありまーす』
 記憶の中のパパがさらさらした白い粉を出す。
 そして秤で重さを量った。
 さらにレモン果汁をメスシリンダーで量り始める。
 ビーカーに粉を入れて、レモン果汁を加えると、シュワシュワと一気に泡が立った。
「昨日、授業参観で先生が言ってたじゃん」
 そうだ、授業参観で先生が出した問題は──
『炭酸水には何が溶けているのかな?』
 そして、最後には泡の正体をたずねたのだ。
 泡の正体は『二酸化炭素』。
 そして、二酸化炭素を作るのは〝それ〟とレモン果汁との化学変化。
 パパと夏の自由研究でサイダーを作ったことがあるから、わたしは答えを知っていたんだ。
 棚から実験ノートを取り出す。そうだ。たしか書いてあったはず。
『熱を加えることや、泡の発生を助ける成分をまぜることで、ものをふくらませるという作用があります』



 わたしはそのページを見つけて思わずガッツポーズをした。
『さあて、この魔法の粉は何でしょう?』
 記憶の中のパパがクイズを出す。
「炭酸水素ナトリウム! 重曹(じゅうそう)だ!」
 だれもいない実験室にわたしの大きな声がひびき渡った。

 次の日。
 もうお昼だというのに、ソファではパパがぐうぐう寝ている。昨日の服のまんまだ。ママが言ってたとおり、夜遅く帰ってきたんだろうな。ぜんぜん起きそうにない。
 そんなパパの前にはクッキーの包み紙。どうやら食べてくれたみたいだ。
 今日はもっとおいしいの作ってあげるからね!
「パパ、おつかれさま。ちょっと行ってきます!」
 そう言うと、わたしはダッシュでフルールへと向かった。
 店はもう開いていて、そらくんが手を洗って、エプロンと三角巾を着けて待っていた。
「かあちゃんが持ってけって」
 白いエプロンには小さな花の刺繍とフルールという文字がワンポイントで入っている。
 おじいちゃんが使っているものなのかもしれない。
 そんなふうに思っていると、そらくんは、わたしにも同じ物を「これ使って」とわたしてくれる。
 くすぐったいような気持ちになりながら、わたしはおそろいのエプロンと三角巾を身に着けようとする。
 すると間に入っていた紙が床に落ちた。
 拾おうとかがみ込むと、テーブルの下にもう一枚、黄ばんだ紙が落ちていた。
 ひとまず先に落とした方の紙を開くと、それはお手紙だった。

佐々木理花さんへ
そらがムリ言ってごめんなさいね。
そらにもよく言ってあるけど、くれぐれも火のとりあつかいややけどには気をつけて。
何かあったら、すぐに家まで言いに来てね。
どうぞよろしくおねがいします。
そらのママより

「かあちゃんも手伝うって言ったんだけどさ、それだとかあちゃんが全部一人でやりそうじゃねえ? 修業にならないから断ったんだ」
 わたしはそらくんに床に落ちていたもう一枚の紙を渡す。
「なんだろこれ……」
 開くと、そこにはアルファベットと数字がずらりと書いてある。
 どうやら、レシピのノートの切れはしのよう。文字もノートと同じ感じで書いてある。
「エルエーシーアールイーエムイー……? なんて読むんだ? エスユーシー…… 70……読み方わかんねえ! なんだろ、これ。なぞなぞ? 暗号?」
 二人してむずかしい顔をした。
 そらくんはしばらくカイドクしようとチャレンジしていたけれど、やがて「まったく、わかんねえ!」と言ってホワイトボードにくっつけた。
 だけど、わたしはじっとその文字をみつめる。気になるから、後でこっそり調べてみようと思ったのだ。

 手を洗ってエプロンを着け、三角巾をする。
 準備をし終わると、そらくんは「で? わかったんだろ?」とたずねる。
 わたしがウズウズしていたから、昨日の答えが出たことには気づいているみたいだ。
「あのね、この間学校でサイダーの実験やったでしょ。あれがヒントだったんだ!」
 じゃじゃーん、という音を口にしそうになる。
 そのくらいのハイテンションでわたしは魔法の粉──重曹を差し出した。
「これを入れて焼くと、中で泡──二酸化炭素っていうガスなんだけど──が発生して、中にすきまができるみたい。だからサクサクのクッキーになるんだって」
 実験ノートに書いてあったことを伝えると、そらくんは目を丸くする。
「さっそくリベンジしてみよう?」

 小麦粉と砂糖とバター、それから重曹をていねいに量る。
 分量はパパのパソコンで調べた。
 本当はおじいちゃんに聞くのが一番なんだろうけど。それはムリだろうから、『重曹を使ったサクサククッキー』で検索したレシピで再チャレンジだ。
 バター100gにグラニュー糖130gを入れて白っぽくなるまでまぜると、卵1個を溶いたものを練り込む。塩をひとつまみ。
 小麦粉170gと重曹小さじ2分の1をふるいにかけて、バターのはいっているボウルに入れてさっくりまぜる。
 うーん。なんだかベトベトしてるけど大丈夫かな?
「次は、生地を冷蔵庫で最低でも三十分休ませるって書いてある」
「休ませる?」
「置いておくってことだろうけど、なんでだろ?」
「大したことないって。早く焼きたいから、とばそう!」
「え、でも、また失敗するかもよ!」
「でも三十分かぁ……」
 そらくんはむうっと口を尖らせると、「おれちょっと素振りしてきてもいい?」と言って庭に出て行った。

 生地を休ませる理由……わかんない。
 これもあとで調べてみようと思いながら、わたしはラップに包んだ生地を冷蔵庫に入れた。
 タイマーをセットする。
 待ち時間、30分。
 最低でもって書いてあるってことは、本当はもっと休ませたほうがいいのかな。
 わたしはタイマーの残り時間を見つめたあと、道具をていねいに洗った。
 洗剤をたくさん泡立てて、隅々までしっかり洗う。
 洗い方はパパ仕込み。
 理科の実験器具はきれいに洗って乾かしていないと、正しい実験結果が出ないのだ。
 なんだか実験みたいだな……と思った瞬間、手が止まった。

 いや、いやいやいや、実験なんかじゃないよね!?
 だって、わたし、もう実験なんかしないって決めたんだもん……って、あれ? わたし、昨日実験室にも入っちゃった!?
 いや、ちがう。うん、あれは、ちょっと調べ物をしに行っただけだし。しかもお菓子作りに関することだし!
 だけど……そらくんのおじいちゃんも『料理は科学』って言ってたんだよね? 科学って、理科のことだってパパは言ってた。つまり、これって理科実験ってこと?

 わたしはあわてて首をぶんぶんと横にふる。
 ちがうよ! お菓子作り! だって、ほら、この工房はどう見ても実験室じゃないし、つかってるのも小麦粉だし、バターだし、お砂糖だし!
 うん! どう考えても、これはりっぱなお料理!
 むくむくと湧き上がってくる不安を、全部たたきつぶしてしまう。
 ようやくホッとしたけれどすぐに、あれ? とわたしは首をかしげた。
 ……わたしなんでこんなに必死で言い訳してるの?

 ぴぴぴ、とタイマーが鳴ってはっとする。
 音を聞きつけたそらくんが飛び込んできて、すばやく手を洗ってエプロンを着ける。
 頭の中のもやもやを吹き飛ばして、わたしは冷蔵庫の生地を取り出した。
 生地は冷蔵庫に入れる前と比べて、ベトベトが減っている気がした。
 あ、これなら手にくっつかないかも。
「なんかちょっと固くなってるな」
「そっか、休ませるのって丸めやすくするためなのかもね」
 生地を休ませた理由を考えながら、二人で生地を切り分けてまんまるに丸めた。
 そしてオーブンの天パンに並べると180度に温めておいたオーブンに入れて、今度は15分。
「結構かかるよなあ」
 そらくんが言い、わたしはうなずいた。
 だけど、小麦粉と砂糖とバター、重曹だけを食べてもぜんぜんおいしくない。
 それをまぜて、焼いて熱を加えると、甘くておいしいお菓子になる。
 魔法みたいだけど、そこにはちゃんと理由がある。
 仕組みを知りたいなって思うと、なんだかウズウズした。

 工房の中に甘いにおいがただよって、オーブンが焼けたと合図をする。
 そらくんが、鍋つかみをした手でそうっと天パンを出して台に置いた。
「うわああ」
 丸いクッキーがずらりと並んでいる。
 焼く前はまんまるだったのに、おせんべいみたいに平べったくなって、こんがりときつね色に焼けていた。
 ごくんとのどが鳴る。
「味見しよう」
 二人で一枚ずつ食べる。
 ドキドキしながらクッキーを口に入れ、思わず目が丸くなる。
 おじいちゃんのクッキーには届かないかもしれないけれど、サクサクと歯ざわりのいい、すごくおいしいクッキーだった。
 甘みが口の中に広がるのと同時に、鼻にバターの香りが広がった。
 うわああ、おいしい!



「おれ、病院行ってくる!」
 そらくんが大急ぎでクッキーを紙袋に詰め込む。
 きれいに二つに分けると、
「半分は佐々木のとうちゃんに!」
 そう言ってわたしに一袋をおしつけた。そらくんはエプロンを着けたままで飛び出していく。
 わたしはクッキーの袋をにぎりしめて、そっと祈る。
 このクッキーで、そらくんがおじいちゃんに認めてもらえますように、と。

 家に帰ったらパパは復活していた。
 持ち帰ったわたしとそらくんのクッキーを食べると、目をうるませて、
「昨日のもおいしかったけど、今日のはもっと、もっと、ものすごくおいしい!! 二人とも天才! お菓子屋さん開けそう!」
 と言ってくれた。
 だからきっとおじいちゃんもよろこんでくれただろうなって、わたしの心は温かくなった。

 その晩、わたしはパパのパソコンを借りて調べ物をした。
 昼間わからなかったこと──クッキーの生地を休ませる理由が知りたかったのだ。
「クッキー 生地 休ませる 理由、っと」
 つぶやきながらキーボードをぽつりぽつりと叩いて文字を打ち込んでいく。すると最初に開いたページに書いてある。

1 水分を全体になじませるため
2 生地を固くして型抜きしやすくするため
3 味を生地によくなじませるため


「そっかあ。固くするのと、味を良くするためなんだ……」
 自分で考えた理由の一つが合っていたことにニンマリしてしまう。
 予想したことと結果からいろいろと考えるのは、クイズみたいですごく楽しい。もちろん正解だと嬉しいけど、不正解でも新しいことを知ることができて、別の楽しさがあった。
 つづけてわたしは本棚から一冊の辞書を取り出した。
 背表紙には英和辞典と書かれている。
 記憶をたよりに、あのおじいちゃんのメモのカイドクに乗り出したわたしだったけれど、すぐに音を上げた。
 だって、つづりをまちがって覚えてしまったのか、それともやっぱり暗号だったのか、ぜんぜんのっていないんだもん。
 結局、あきらめてお布団に行く。
 あおむけになると、はあああ、と大きく息をついた。
 うん。メモの暗号が解けなかったのは残念だけど……なんだかすごく楽しい一日だったな。
 なんだか、ほら、昔パパと一緒に実験をしていたときみたい……。
 わたしははっとする。いや、いやいや、だから、あれは実験じゃないってば! お菓子作りだもん!
「お菓子作り……だよね?」
 天井に向かってつぶやいてみるけれど、だれも答えてくれない。
 答えが出ないのが気持ちわるくて、わたしは大きくため息をはいた。
 うん……どっちだとしても、もうそのお菓子作りも終わりなんだけどね。きっとあのクッキーでそらくんはおじいちゃんの弟子にしてもらえるだろうし。そうしたら、『幻の菓子』の作り方だって教えてもらえるはず。

 目を閉じるとそらくんのキラキラした笑顔が思い浮かぶ。そして『佐々木がいい』って言葉もよみがえる。
 それをむりやりに追い払う。
 だって、わたしみたいな地味な女子が、クラスのアイドルのそらくんとお菓子作りなんて、もう二度とないだろうし。
 うん、いい思い出になったって思おう。そうしよう。じゃないと、明日から戻ってくる普通の生活がつらいかもしれない。
 わたしは大きく深呼吸をすると、お布団の中にもぐりこんだ。

6 さあ、リベンジだ!

 そうしていつも通りの日常が戻ってきたはずの、次の日のこと。
「佐々木!」
 そらくんが教室で話しかけてきたものだから、わたしはものすごくおどろいた。
 だって、いままで学校ではほとんど話したことがないんだよ!?
 だからかもしれないけど、みんなもおどろいた顔でわたしとそらくんを見ている。
「昨日はありがとな!」
 そらくんはにっと笑うと、小さな声で言う。
「あ、えっと、うん」
 ドギマギしていると、ちょうど先生が入ってきて朝の会がはじまった。
 わたしはホッとする。
 だけど、みんなのふしぎそうな目はそのままで、とてもイゴコチが悪かった。
「理花ちゃん、そらくんとなにかあったの?」
 後ろの席の子がこそっとたずねてくる。
 ごく普通の質問だと思う。
 わたしとそらくんの組み合わせ、わたしでも不自然だと思うもん。だけど……。

『どうして理花ちゃんなんかにそらくんが?』

 そんなふうに言われているような気がしてチクチクと胸が痛かった。
 あれから言われたことはないけれど。『変わってる』、『男の子みたい』のとげはいまだに心に刺さったままだ。
「う、ううん、なんでもないよ」
 そう答えて前を向いたけれど、ずるい、って言われてるような、キモチワルイ視線が体にまとわりつく感じがした。

 その後も、そらくんは休み時間ごとに「話をしたい」っていうオーラを出したけど、わたしはなんだか気まずくて、そのたびにトイレに逃げることにした。
 するとそらくんはあきらめたのか、それともともだちと遊びたかったのか、わたしに話しかけようとするのをやめてくれた。


 その日の放課後。
 家に向かっててくてく進んでいくと、大きな桜の木が見えてきた。もう花は全部散っちゃって、黄緑色の葉っぱが力強く生えてきている。
 その角を左に行くとわたしの家だ。だけど、いつもちょっと遠回りして、もう一本先の角で曲がるんだ。
 わざと通らない道。そこには小さな公園があって、三年生までは近所の子たちとよく遊んでいた。
 宝物を見せあったのも、タマムシを逃がしたのもその公園。だからなのかな。どうしても胸がチクリと痛むんだ。
 わたしは痛みを消そうと右の道を見た。それはフルールへと続く道だ。見るとどうしても昨日のことが思い浮かんだ。
 そらくん、どうしてるかな。
 ちらりと道をのぞき込んだわたしは、目が飛び出るかと思った。
「そ、そらくん!?」
 道沿いの垣根に寄りかかってそらくんがまちぶせていたのだ。

「……なあ、佐々木。なんでおれを避けてるわけ?」

 うわあ、そらくん、避けてること、しっかり気づいてた! 意外にするどい!
「き、気のせいだよ」
 わたしは大あわてで否定する。そしてナットクしてなさそうなそらくんをごまかすために話を変える。
「えっと、な、なに? あ、おじいちゃん、退院した?」
「三日前に入院したばっかりで、そんなわけあるかよ」
 なんだかフキゲンだ。
 避けたことで怒らせちゃったのかな?
 と不安になっていると、そらくんはイライラと言った。
「じいちゃん、クッキー食べて『まだまだまーだぜんぜんだめだな!』だって! ムカつく~! あれ、メッチャクチャうまかっただろ? なっ!?」
「ええー!? あれ、ほめてもらえなかったの?」
 わたしはびっくりした。
 だって、おいしかったし、なにより初めてつくったんだよ?
 上出来だってほめてくれるものだと思ってた。
 うちのパパなんて泣きそうだったよ?
「じいちゃん、全部食べたくせにさあ、おれが『このクッキーで、店を救う!』って言ったら『こんなもの出されたら店がつぶれるから、さっさと退院するぞ』とか言うんだぜ? ムカつく~!!」
 ひどい! と一瞬思った。だけど、あれ? さっさと退院するぞ──って。
 あ、そらくん、クッキーはちゃんと役に立ってるよ!
「『退院する』って言ってるってことは……おじいちゃん、元気が出たってことじゃないのかな?」
 そう言うとそらくんははっとしたような顔になった。
「そっか! そうだな!」
 そらくんは、ぱっと顔を輝かせたあとすぐに首をかしげた。
「あれ? じゃあおれ、上手くならないほうがいいってことか?」
 わたしは笑って首を横に振った。
「それはないよ。だって、全部食べたんだよね? おじいちゃんさ……たぶん、そらくんがお菓子作ってくれたことがうれしかったんだよ。だから、元気になったんだよ」
 きっとそうに決まってるよ!
 わたしが笑うと、そらくんもうれしそうに笑った。
「じゃあ、もっと元気になってもらわないとな! 次こそは、うまいって言ってもらうんだからな!」
 そらくんのおじいちゃんへの気持ちが伝わってきて、わたしはなんだかほっこりする。
 きっとおじいちゃんも、こんなそらくんを見てたらよろこぶんじゃないかな? まだまだがんばろうって思うんじゃないかな? よかった!
 わたしがのんびり「がんばってね」と言うと、そらくんはきょとんとした。
「何言ってんだ、佐々木も手伝ってくれないと」
「え?」
 今度はわたしがきょとんとする番だった。
「佐々木がいなかったら、あのクッキー、ゼッタイ作れなかったし! 手伝ってくれよ! たのむ、この通り!」
「大げさだよ! 大したことしてないし! だ、だいたい、なんでわたし?」
 他にお料理上手な女の子がたくさんいると思うんだけど。
 手を合わせて拝まれてあわあわするわたしに、そらくんはマジメな顔になって言った。

「佐々木がおれのこと笑わなかったからだよ」

「え……?」
「おれが菓子作りしてるって知ると、だいたいのヤツが『変』って言うんだよな。『女子みたい』で似合わないって。だから面倒になってさ。だれにも言わないようにしてたんだ。だけど佐々木は否定してくれたろ? 『変』じゃないって。おれ、あのとき、メッチャクチャ嬉しかったんだよな!」
 にっと笑うそらくんにどきんとする。そして急に親しみを感じた。だって、そらくんもわたしと同じ。『女子みたい』、『変』って言われて傷ついている。わたしとはぜんぜんちがうって思ってたのに。
 それなら……力になってあげたいな。
 うなずきかけたけど、一瞬ためらった。
「で、でも……わたし」
 学校でのことを思い出したからだ。
 あんなふうに話しかけられちゃったら、みんなになんて言われるかわからないし!

「あれ? 理花?」
 その声に、わたしはぎょっとする。あわてて振り向くとパパだった。大学で授業がないときはたまに早く帰ってくるんだ。
「あ、広瀬くんも! 昨日はクッキーありがとう! いやあ、娘の手作りクッキーが食べられるなんて幸せで涙が出ちゃったよ」
 パパ! ちょっとは親ばかを隠して! 恥ずかしいってば!
 だけどそらくんは笑ったりせずに、
「手伝ってもらったお礼です。すごく助かったんです。また作ったら食べてください! 次はケーキにする予定なんです! なっ?」
 と目をキラキラさせている。
 ケーキ!? ムズカシすぎない!?
 そ、それに、いつの間にかわたしも作る予定になってる!?
「ケーキだって!? 理花? そうなのか?」
 パパの目は、期待でギラギラしている。
 う、うわあ、これは、断ったらパパがあばれちゃうかも!
「え、ええと……うん」
 わたしは二人のキラキラとギラギラの目のハクリョクに、ついうなずいてしまった。すると、二人ともにっこり笑った。
「楽しみにしてるよ! あと、広瀬くん、理花と仲良くしてくれてありがとう!」
 パパが嬉しそうに家の方に歩いていく。
 そらくんは「じゃあ、佐々木、行こうか」と右の道──フルールの方を指さした。
「今度こそ、じいちゃんに合格もらえるように、特訓だ!」

今日はここまで!
連載第3回は【5月2日】に公開予定だよ! お楽しみに☆